バス憧れの大地へ
        世界を目指しての旅行記ほか by カズ@憧れの大地 

世界への旅(旅行記)

中国・西安―河南―北京

  鄭州 ~交通の要衝地で切符購入の一日

1993年12月21日

鄭州へは当初、列車で行くつもりだったが、駅前でバスの客引きが盛んに声を出している。
座席の残りがある保証もない列車の切符を、満員電車のような列に並んで買うことを考えれば、こっちの方がいいかもしれない。私はその声に誘われるように、バスに乗り込んだ。
西安から洛陽へのバスに比べれば、はるかに快適。昼過ぎには鄭州に到着した。
二七記念塔
夕暮れ時の二七記念塔
鄭州は、観光都市と言うよりは、交通の要衝地だ。私がここに立ち寄ったのも、鄭州そのものよりも、三国時代の古都・許昌に行くための拠点として、というところが大きかった。
私は駅前の鄭州飯店というホテルの3人部屋ドミトリーにチェックインし、荷物を置いて早速、翌日の許昌への切符を買いに出掛けた。
中国の列車の切符売り場は、上にも書いたように、満員電車並みの混みようで、並んでいるだけで体力を消費してしまう。北京への寝台列車の切符も買いたかったが、さすがに2度もここに並ぶ気力はなく、仮に並んだとしても、苦労した挙げ句「没有」と言われるのも嫌だったので、より確実なCITS(中国国際旅行社)に出向いて予約した。
ただし、ここでもすぐに切符が手に入る訳でもなく、受け渡しは翌々日ということになった。
切符の購入に時間を費やしているうちに、夕方になってしまい、この日の鄭州市内観光は、二七記念塔のみとなった。
入り口の老人が「今日は閉鎖時間が近いから、明日にしたらどうだ」と言うが、折角だから夕日に染まる鄭州の街を見たかったので、無理を言って入れてもらった。最上層から見た鄭州の夕景は、やはり美しく、切符購入に歩き回って疲れていた心を癒してくれた。

  許昌 ~「曹操の街」のはずだが

1993年12月22日

許昌は、鄭州から南へ少し行ったところにある。鉄道なら3つ目の駅になるが、急行で行けば1つ目で、1時間程度で行くことができる。三国志を知らない人にとっては馴染みの薄い街かもしれないが、知っている人なら「なるほど、あそこか」と分かっていただけることだろう。

許昌は、三国時代随一の英雄であり、魏晋南北朝時代への道を切り開いた易姓革命の事実上の実行者・曹操が根拠地とした街である。
しかし、残念なことに、歴史の舞台の表に出たのが曹操の時代だけであり、
関羽像
関帝廟の関羽像
また、歴史的事実の歪曲が目を覆わんばかりの「三国志演義」で曹操がとことん悪役に描かれてしまったせいか、観光都市としての華やかさは余り感じられない。史跡にしても、曹操ゆかりの場所よりも、彼と関係が深かったものの、敵将・劉備の配下だった関羽ゆかりの場所の方が目立つ始末だ。
しかも、この街はどのガイドブックにも載っていない。インターネットが普及していなかった当時、事前に収集したこの地の情報は、貧弱極まりないものだった。現地で買った地図も、観光に役立つものとは言えず、この街を巡るにはえらく苦労させられた。
この街で一番訪れたかったのが、関羽を祀った関帝廟だ。しかし、ここへはバスが通じていない。私は始めて輪タクを利用することにした。
駅周辺は割合モダンな建物が並んでいたが、輪タクで関帝廟に向かうにつれ、周りはのどかな田園風景へと変わっていった。田舎道をブタがのっしのっしと歩いている。顔と心が、思わずほころんだ。
関羽を祀った廟には、洛陽でも2日前、訪れたばかりだったが、ここの素晴らしさは、洛陽の関林の思い出を記憶の彼方にかすめてしまう程だった。
一番の見ものは、関羽を中心に三国志絵巻を描いた壁画だ。桃園の誓いに始まる、関羽にまつわる三国志の名場面が、詳細に、色鮮やかに描かれている。建物の内壁の左右両側に、それぞれ100メートルほどはあっただろうか。スケールもかなりのものだ。
しばしの間、三国志の世界に引き込まれていた。
許昌一の名所なはずの関帝廟だったが、その時訪れていたのは私1人だけ。私が出ると、開場時間中であるにも関わらず、門は閉ざされてしまった。やはり、平常から訪問客は少ないのだろうか。少し寂しい気がした。
関帝廟の壁画
関帝廟の壁画
この他に目立った名所は、関羽が曹操に一時投降した際に暮らした庵・春秋楼などといったところだが、やはり関羽絡み。城の堀のような城河の内側で、
「ここに曹操が、献帝がいたのか
魏に思いをはせることは、結局この程度しかできなかった。
少々消化不良のまま、私はバスで鄭州に引き返した。

  鄭州2 ~うっとうしい奴ら

1993年12月23日

この日は黄河遊覧区に出掛けたが、着くなり、写真屋や馬引きが、蝿のようにたかってくる。
(どうせ、ぼったくるんだろう)
こんな連中に金儲けさせたくなかったし、何より自分の足で歩きたい。当然のごとく、私はそれを無視して黄河へと足を進めた。
ところが、馬引きの男がしつこくまとわりついてくる。「不要」という言葉も、この類の連中には通じないらしい。走り去ることで意思表示しようとしたが、私が走れば、男もまた馬を引いて走って追ってくる。
(この分では、黄河にたどり着くまで着いて来られそうだ)
そう思うと気分が悪くなって、私は泣く泣く、黄河のほとりに行くことを断念し、来た道を引き返した。
結局、展望台から遠くを糸のように流れる黄河を見ることしかできなかった。
その上、帰りのミニバスに乗り込んだはいいが、客が集まるまで散々待たされた挙げ句、いざ出発、と思ったらすぐにガス欠でストップ。別のバスに乗り換えさせられる始末だ。
悠久の大河を楽しむはずが、欲求不満を蓄積するだけに終わってしまった。
CITSで切符を受け取り、博物館や夕食などで時間を潰した後、北京行きの列車に乗り込んだ。
中国で寝台列車に乗るのは、前回の旅の桂林―長沙以来、2度目。前回は軟臥(1等寝台)だったが、今回は、1度は乗ってみたかった硬臥(2等寝台)だ。
2段ベッドでふかふかマットレスの軟臥に比べ、3段ベッドでマットレスも無い硬臥は、お世辞にも寝心地がいいとは言えなかった。しかし、中国庶民の生活の顔を見るには、うってつけの場所である。少々騒がしく、雑然としているが、この喧噪こそ、まさしく中国だ。
この雰囲気に私は大いに満足し、今日1日の欲求不満も少しは和らいだ。
夜が明ければ、いよいよ北京だ。
しかしやはり、風邪が気になる。

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