世界への旅(旅行記)
> 中国・天津―大連
燕京号・2 ~「卒業」
2001年2月17日
2日目の午前は前日の昼ほど退屈させられずに済んだ。私と同室の中国人らと、木村君を交えて、中国語と日本語の相互学習が始まったのだ。
しかし、彼らの鋭い質問に、私たち2人はたじたじとさせられてしまった。
「本命チョコと義理チョコの違いは何だ」「どうして日本の女性は、寒い季節でもミニスカートをはくのだ」…。
バレンタインについては、私たちも何とか、自ら思うところを語ることができたが、ミニスカートについては、私も木村君も「そう言われてみれば…」と考え込んでしまった。結局「あれはおしゃれだ」ということで片を付けたが、げにやげに、日本の女性を語ることは、日本の文化や歴史を語るよりも難しいかもしれない。
その他にも、日本と中国の間でどんなビジネスができるか、などといった話題でも盛り上がったが、いつしか昼食時になって、相互学習もそこで打ち止めとなった。
しかし、彼らの鋭い質問に、私たち2人はたじたじとさせられてしまった。
「本命チョコと義理チョコの違いは何だ」「どうして日本の女性は、寒い季節でもミニスカートをはくのだ」…。
バレンタインについては、私たちも何とか、自ら思うところを語ることができたが、ミニスカートについては、私も木村君も「そう言われてみれば…」と考え込んでしまった。結局「あれはおしゃれだ」ということで片を付けたが、げにやげに、日本の女性を語ることは、日本の文化や歴史を語るよりも難しいかもしれない。
その他にも、日本と中国の間でどんなビジネスができるか、などといった話題でも盛り上がったが、いつしか昼食時になって、相互学習もそこで打ち止めとなった。
昼食後、私は急に眠くなり、4時過ぎまで寝込んでしまった。目が覚めて船内をウロウロしていると、木村君が、昨日バーにいた中国の若い3人の女性たちと話をしていた。カラオケでも日本語の歌をかなり上手く歌っていた彼女たちだけに、話もかなり弾んでいたようだった。
明るく、チャーミングな3人だっただけに、私は昼寝をしていたことを悔やんだが、彼女たちとまた話をするチャンスは、すぐに訪れた。
明るく、チャーミングな3人だっただけに、私は昼寝をしていたことを悔やんだが、彼女たちとまた話をするチャンスは、すぐに訪れた。
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| 燕京号で知り合った瀋陽娘たち |
その日の夜、私と木村君は、他に2人を誘って再びバーに繰り出した。
しばらく飲んでいると、先程の中国人女性3人も、昨日同様、バーに現れて、私たちの傍に座った。
私は手始めに、彼女たちにどこに住んでいるのか尋ねてみた。すると、彼女たちは偶然にも、私が向かっている大連から程近い、同じ遼寧省の瀋陽に住んでいるという。話は俄然、盛り上がった。
中国に行く目的や、日本で何をしていたかなどを、中国語と日本語を交えて互いに話していると、彼女たちは私に、カラオケのリクエストをしてきた。
「昨日歌っていた『卒業』をまた歌って下さい」
私は尾崎豊の名曲を、連夜で熱唱することになった。
しばらく飲んでいると、先程の中国人女性3人も、昨日同様、バーに現れて、私たちの傍に座った。
私は手始めに、彼女たちにどこに住んでいるのか尋ねてみた。すると、彼女たちは偶然にも、私が向かっている大連から程近い、同じ遼寧省の瀋陽に住んでいるという。話は俄然、盛り上がった。
中国に行く目的や、日本で何をしていたかなどを、中国語と日本語を交えて互いに話していると、彼女たちは私に、カラオケのリクエストをしてきた。
「昨日歌っていた『卒業』をまた歌って下さい」
私は尾崎豊の名曲を、連夜で熱唱することになった。
他人に聞かせる程でもない歌を歌いながら、気がつくと私は、その歌詞に今の自分を重ね合わせていた。
言わば会社という“支配”から卒業して留学に飛び出した私だが、卒業していったい何解ると言うのか、あと何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどりつけるだろう…尾崎豊が歌い上げた不安は、今の私の不安そのものだ。
しかし、一つだけ言えるのは、この“卒業”は「闘いからの卒業」などではなく、「新たな闘いのための卒業」なのだ。不安がっている場合ではない。歌い終わった私は、再び“Let It Be”(なすがままに)の気持ちに戻っていた。
言わば会社という“支配”から卒業して留学に飛び出した私だが、卒業していったい何解ると言うのか、あと何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどりつけるだろう…尾崎豊が歌い上げた不安は、今の私の不安そのものだ。
しかし、一つだけ言えるのは、この“卒業”は「闘いからの卒業」などではなく、「新たな闘いのための卒業」なのだ。不安がっている場合ではない。歌い終わった私は、再び“Let It Be”(なすがままに)の気持ちに戻っていた。

