世界への旅(旅行記)
出発―北京 ~初めての“旅の不安”
2001年7月19日
午後3時――私は大連駅で、これまでの旅で味わったことの無い不安に襲われていた。今まで当たり前と思っていた一人旅という自分の旅のスタイルに、初めて疑問を抱いたのだ。
これまでは周囲の者たちと休暇や関心が合わなかったことから、自然と一人旅となっていた。しかし、今は違う。私は中国に留学中であり、仲間たちは一斉に夏休みで、しかも誰もが中国に、中国の旅に関心を持っている。
そんな環境にも関わらず、私はなぜ再び一人旅に出ようとしているのだろう…。
出かける前から、旅を放棄したい気分に駆られてしまった。
これまでは周囲の者たちと休暇や関心が合わなかったことから、自然と一人旅となっていた。しかし、今は違う。私は中国に留学中であり、仲間たちは一斉に夏休みで、しかも誰もが中国に、中国の旅に関心を持っている。
そんな環境にも関わらず、私はなぜ再び一人旅に出ようとしているのだろう…。
出かける前から、旅を放棄したい気分に駆られてしまった。
しかし、そんな気分も火車(列車)に乗って、陽気な中国人の家族たちの会話に耳を傾けているうちに、自然と吹き飛んでしまった。
(色々な所を巡って見聞を広めて、彼らと交流して語学力を向上させるのだ)
やはり旅は、私のライフワークなのかもしれない。
(色々な所を巡って見聞を広めて、彼らと交流して語学力を向上させるのだ)
やはり旅は、私のライフワークなのかもしれない。
2001年7月20日
午前9時30分、私は3度目の北京の街に降り立った。
まずは、次の目的地である銀川への列車の切符を求めたが、2日後、3日後の切符は既に売り切れていた。しかし、なぜか翌日の切符があるという。そうなると、北京の滞在を1日縮めなければならないが、既に2度訪れたことのある街だ。長居をする必要も無かろう。
この日はゆっくりするつもりだったが、北京駅近くの国際飯店裏にあるユースホステルにチェックインをした後、早速活動を開始することになった。
まずは、次の目的地である銀川への列車の切符を求めたが、2日後、3日後の切符は既に売り切れていた。しかし、なぜか翌日の切符があるという。そうなると、北京の滞在を1日縮めなければならないが、既に2度訪れたことのある街だ。長居をする必要も無かろう。
この日はゆっくりするつもりだったが、北京駅近くの国際飯店裏にあるユースホステルにチェックインをした後、早速活動を開始することになった。
午後から向かったのは、八達嶺長城。
過去2度も訪れたことのある地を再び訪れたのには、一つの目的があった。留学の遠因ともなった、前回ここでTシャツの値引きができなかったという悔しい思い出に、今こそリベンジを果たさん、ということだった。
売店が多すぎて、どれが前回の店かを特定することは、既に不可能だった。この際、どこでもいい。私は長城の上でTシャツを売っている老女にターゲットを絞った。
私の前で別の外国人が、1着25元という値段に「高い!」とそっぽを向いたのを見て、私は試しに「15元でどうだ?」と彼女に振ってみた。すると彼女は「よし、15元であんたに売った!」と、交渉はあっけない程すんなりと終わってしまった。
(しまった、10元あたりにしておくんだった。まだまだ甘いな)
こうしてリベンジは達成されたが、それで満足したかというと、さにあらず。
(この程度の中国語なら、あの当時でも話せたぞ。なぜ人任せにしてしまったんだ?)
あの頃は、学習のブランクが長すぎて、自分は中国語が話せなくなっているというコンプレックスが強すぎたのだろう。いずれにしても、ますます落ち込んでしまう結果となった。
売店が多すぎて、どれが前回の店かを特定することは、既に不可能だった。この際、どこでもいい。私は長城の上でTシャツを売っている老女にターゲットを絞った。
私の前で別の外国人が、1着25元という値段に「高い!」とそっぽを向いたのを見て、私は試しに「15元でどうだ?」と彼女に振ってみた。すると彼女は「よし、15元であんたに売った!」と、交渉はあっけない程すんなりと終わってしまった。
(しまった、10元あたりにしておくんだった。まだまだ甘いな)
こうしてリベンジは達成されたが、それで満足したかというと、さにあらず。
(この程度の中国語なら、あの当時でも話せたぞ。なぜ人任せにしてしまったんだ?)
あの頃は、学習のブランクが長すぎて、自分は中国語が話せなくなっているというコンプレックスが強すぎたのだろう。いずれにしても、ますます落ち込んでしまう結果となった。
2001年7月21日
朝、窓の外を覗くと、雨が降っていた。香港、泰山で雨に見舞われた“雨男”の本領発揮だ。それでも、今日の午後には北京を発たなければならない。行きたい所には行っておかなければ。
北京で唯一、見逃していた名所が、古き街並み・胡同だ。
天津、山海関で胡同に魅せられた私を、北京の胡同もまた、温かく迎え入れてくれた。
胡同は、落ち着いた雰囲気のある中に賑やかさのある、不思議な場所だ。鐘楼の上から眺めた雨の胡同の風景は、何か違う時代に紛れ込んできたかのような錯覚を覚えさせる。
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| 北京の胡同 |
胡同は、落ち着いた雰囲気のある中に賑やかさのある、不思議な場所だ。鐘楼の上から眺めた雨の胡同の風景は、何か違う時代に紛れ込んできたかのような錯覚を覚えさせる。
胡同から南へ少し歩くと、そことは対照的な街並みがある。王府井だ。以前来た時は工事中だったが、今では華やかな歩行者天国となっている。
古き胡同と新しき王府井――北京はこうした対極にある顔を持った、不思議な街だ。
“顔”と言えば、胡同に向かう地下鉄の中で、乗客に金を求める幼い兄弟の姿を見かけたが、これもまた、首府・北京の一つの顔なのかもしれない。
古き胡同と新しき王府井――北京はこうした対極にある顔を持った、不思議な街だ。
“顔”と言えば、胡同に向かう地下鉄の中で、乗客に金を求める幼い兄弟の姿を見かけたが、これもまた、首府・北京の一つの顔なのかもしれない。
胡同巡りを終えた私は、銀川に向かう列車に乗り込んだ。
列車といえば、中国人と交流する絶好の場所なのだが、同じコンパートメントに乗り合わせたのは、典型的な“小皇帝”と“皇太后”の家族連れ。余りいい気分にはなれなかったが、翌日の朝、デッキで外の写真を撮っている時に別の中国人と交流ができたのは幸いだった。
列車といえば、中国人と交流する絶好の場所なのだが、同じコンパートメントに乗り合わせたのは、典型的な“小皇帝”と“皇太后”の家族連れ。余りいい気分にはなれなかったが、翌日の朝、デッキで外の写真を撮っている時に別の中国人と交流ができたのは幸いだった。

