世界への旅(旅行記)
合肥 ~三国志の“兵どもが夢の跡”
2001年9月29日
合肥と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、三国時代の合肥の戦いだろう。ここが、曹操の魏軍と、孫権の呉軍が死闘を繰り広げた地である。それだけに、この街の見どころも三国志にまつわるものが多い。
繁華街の一角に、そこだけタイムスリップしたかのようにたたずんでいる、古めかしい建築物がある。明教寺だ。合肥の戦いに際して、魏の名将・張遼は、ここで弓隊の鍛錬をしたという。その教弩台の上に建てられたのが、この明教寺だ。
寺が建てられてしまったせいか、ここが戦にまつわる古跡だ、ここで弓の訓練が行われた、というイメージは、残念ながらなかなか沸いてこない。三国志の英雄たちに思いを馳せるには、少々もの足りないかもしれない。
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| 教弩台の上に建てられた明教寺 |
繁華街の一角に、そこだけタイムスリップしたかのようにたたずんでいる、古めかしい建築物がある。明教寺だ。合肥の戦いに際して、魏の名将・張遼は、ここで弓隊の鍛錬をしたという。その教弩台の上に建てられたのが、この明教寺だ。
寺が建てられてしまったせいか、ここが戦にまつわる古跡だ、ここで弓の訓練が行われた、というイメージは、残念ながらなかなか沸いてこない。三国志の英雄たちに思いを馳せるには、少々もの足りないかもしれない。
明教寺に程近い所にあるのが、逍遥津公園。小説「三国志演義」第67回のタイトルが「張遼、威を逍遥津に震う」であることからも分かるように、合肥の戦いが繰り広げられたのが、まさにこの地だ。
現在は、かつての激戦の地も市民の憩いの場になっている。早朝ともなると、地元の市民たちが入場料免除でこの公園に集まり、太極拳をしたり、ダンスをしたり、
京劇の練習をしたりしている。私もあわよくば入場料免除で、と門をくぐろうとしたが、やはりよそ者は見逃してはもらえない。きっちりと切符を買うように求められた。
公園の奥の方へと足を進めると、先程から名前の挙がっている張遼の銅像が、馬上から私を出迎えた。その背後には、張遼衣冠塚が残されている。
合肥の戦いで最も戦功著しかったのがこの張遼であり、そして合肥の戦いこそが、張遼の最大の見せ場でもある。正史によると、彼はここで、わずか800人の手勢で10万の呉軍を迎え撃ち、大戦果を収めたという。一体、張遼という武将は、どれだけの勇猛さを兼ね備えていたのだろうか。
現在は、かつての激戦の地も市民の憩いの場になっている。早朝ともなると、地元の市民たちが入場料免除でこの公園に集まり、太極拳をしたり、ダンスをしたり、
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| 三国志を彩った張遼(左)と華侘 | |
公園の奥の方へと足を進めると、先程から名前の挙がっている張遼の銅像が、馬上から私を出迎えた。その背後には、張遼衣冠塚が残されている。
合肥の戦いで最も戦功著しかったのがこの張遼であり、そして合肥の戦いこそが、張遼の最大の見せ場でもある。正史によると、彼はここで、わずか800人の手勢で10万の呉軍を迎え撃ち、大戦果を収めたという。一体、張遼という武将は、どれだけの勇猛さを兼ね備えていたのだろうか。
また、街外れを散策していると、奇妙な石像に出くわした。やはり三国志の登場人物である名医・華侘の像である。小説「三国志演義」では、関羽が腕に受けた毒矢の傷を骨を削って治し、曹操の頭痛を診察しようとして殺されたエピソード(いずれも虚構。ただし曹操に処刑されたのは事実)が有名な人物だ。
しかし、彼と合肥にどのような関係があるのか、私にはわからなかった。
郊外の盧江まで足を伸ばすと、呉の軍師・周瑜の墓がある。曹操・張遼に並ぶ私の気に入りの武将だけに、ぜひとも訪れたかった。しかし、目的地に向かうバスの今にもエンストを起こしそうなオンボロさを目の当たりにして、行く気が失せてしまった。どうやら、過密スケジュールがたたって少々疲れていたらしい。
名将の墓参りは断念して、合肥の街をゆっくりと見て回ることにした。
名将の墓参りは断念して、合肥の街をゆっくりと見て回ることにした。
街中の淮河路沿いに、博物館らしき建築物を見つけた。太平天国平定に、洋務運動に活躍した、清末の名将・李鴻章の記念館だ。彼はこの地の出身だったのだ。数々の功績を残した彼の一生をたどる展示がされている。
私は特に、大学時代に清末中国を研究していただけに、興味深く参観させてもらった。
合肥は内陸の街であり、無錫や南京のように、近くに大きな河や湖がある訳ではない。それでもここには“水の街”の顔がある。市街地は堀のような川に囲まれており、その一角には、池一面の蓮と江南風の建築物が美しい包河公園がある。
水のある光景を見ていると、心が落ち着く上、疲れも癒される。時間の制約がある以上、周瑜の墓を参るよりも、こうして水の光景を楽しむことこそが、合肥の正しい楽しみ方なのかもしれない。
私は特に、大学時代に清末中国を研究していただけに、興味深く参観させてもらった。
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| 李鴻章記念館 | 包河公園 |
水のある光景を見ていると、心が落ち着く上、疲れも癒される。時間の制約がある以上、周瑜の墓を参るよりも、こうして水の光景を楽しむことこそが、合肥の正しい楽しみ方なのかもしれない。
2001年9月30日
早朝、予め上海でチケットを購入しておいた飛行機で、一路大連へ向かう。しかし、夏休みの旅行で2度飛行機を利用し、2度とも遅れたジンクスはまだ続いていた。今回も約30分の遅れ。しかし、すっかり慣れてしまい、いらつくことも既になくなっていた。
それにしても、本当に急ぎ足の旅立った。落ち着いて街を散策することもできなかった上、疲れて楽しみの1つを諦める結果にもなってしまった。
こんなバタバタとした旅は、二度としたくない…





