世界への旅(旅行記)
福州 ~南方の明るさ
2002年5月2日
午前の便に乗って、居心地悪い南昌を脱出。 1時間のフライトで福建省の省会・福州の空港に到着。その後リムジンバスでさらに1時間、福州の街中にたどり着いた。バスを降りた私の体に降り注いできたのは、南方の強烈な日差しだった。
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| アーケードが特徴的な福州の街並み |
福州の光景を特色付けているのは天候ばかりではない。建物の様子も、他の地域とは異なっている。主幹道路に面した建物は、1階部分が上の部分より若干奥まっていて、そのスペースがアーケード状の歩道になっている。時として香港のネイザン・ストリートを彷彿とさせるこの様式は、やはり強烈な日差しが関係しているのだろう。
街中には于山、烏石山という小高い山があり、それぞれ風景区になっている。私はこのうち、烏石山を訪れた。ここは、山全体が道教の雰囲気に包まれており、照天君宮という道観や、摩崖題刻などの遺跡がある。また、ガジュマルの木が南方の雰囲気を際立たせている。
山の北側からは福州の街を一望することができる。古い平屋が並ぶ胡同の向こうに、中心街の真新しい高層ビルが重なって見える。ここで彷彿とさせられたのは、北京の街並みだった。
烏石山の北側には、イギリスの理不尽なアヘン貿易と闘った民族的英雄・林則徐の記念館がある。彼が福州で生を受けたことから、この地に記念館が建てられたのである。
ここでは、当時のアヘン貿易の状況と、彼がそれと闘った様子、アヘン戦争の経緯などが詳しく展示されている。彼がアヘンと闘ったことは、世界史を学んだことのある人なら日本人でも知っていることだろう。しかし、多くの日本人にとって彼の経歴は、
アヘン戦争が勃発して慌てた清朝に左遷されたところで終わっているのではないだろうか。ここに来るまでは、私もそうだった。しかし、彼の政治家生命は、決してアヘン戦争で終わった訳では無い。
彼は左遷されて中国の西の最果て・新疆イリ地区に赴任したのだが、ここでも彼は農政などの面で手腕を発揮し、善政を敷いたのだ。人間、どんな状況に置かれようとも決して腐ってはならない、ということなのだろう。
展示は、清末当時のものにとどまらなかった。麻薬を取り締まった彼にあやかって、現代でも根強く蔓延している麻薬の害を訴える教育的キャンペーンも展開されている。
参観を終えて、私は一種の後悔の念に襲われた。
(なぜ、学生の時にここに来なかったのだろう)
というのは、私の卒業論文のテーマが、まさしく「清末のアヘン蔓延」だったからだ。この展示を見ていれば、卒論を書く際にどれだけ助けになったことだろう。当時はこの記念館の存在を知らなかったのだからどうしようも無いのだが、やはり何とももったいない。
山の北側からは福州の街を一望することができる。古い平屋が並ぶ胡同の向こうに、中心街の真新しい高層ビルが重なって見える。ここで彷彿とさせられたのは、北京の街並みだった。
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| 摩崖題刻 | 烏石山から望む福州の街並み |
ここでは、当時のアヘン貿易の状況と、彼がそれと闘った様子、アヘン戦争の経緯などが詳しく展示されている。彼がアヘンと闘ったことは、世界史を学んだことのある人なら日本人でも知っていることだろう。しかし、多くの日本人にとって彼の経歴は、
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| 林則徐紀念館 |
彼は左遷されて中国の西の最果て・新疆イリ地区に赴任したのだが、ここでも彼は農政などの面で手腕を発揮し、善政を敷いたのだ。人間、どんな状況に置かれようとも決して腐ってはならない、ということなのだろう。
展示は、清末当時のものにとどまらなかった。麻薬を取り締まった彼にあやかって、現代でも根強く蔓延している麻薬の害を訴える教育的キャンペーンも展開されている。
参観を終えて、私は一種の後悔の念に襲われた。
(なぜ、学生の時にここに来なかったのだろう)
というのは、私の卒業論文のテーマが、まさしく「清末のアヘン蔓延」だったからだ。この展示を見ていれば、卒論を書く際にどれだけ助けになったことだろう。当時はこの記念館の存在を知らなかったのだからどうしようも無いのだが、やはり何とももったいない。
さらに北へ歩くと、西湖公園に行き着く。気持ちの落ち着くいい場所であることは確かなのだが、10元払ってまで公園内に入る価値があるかとなると、疑問符がつく。
福州滞在はこの1日で終わったが、ここまでの数日間に比べて明るさと華やかさに満ちたここ福建の雰囲気は、私の心を存分に開放してくれた。




