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        世界を目指しての旅行記ほか by カズ@憧れの大地 

世界への旅(旅行記)

中国・黄山、江西、福建

  コロンス島 ~共同租界の情緒と鄭成功

2002年5月6日

コロンス島の街並み
共同租界の情緒溢れるコロンス島の街並み

楽しみは最後までとっておいた形になった。事実上の最終日、アモイ(廈門)島の対面に浮かぶコロンス島を訪れる。
アモイ島側の埠頭からフェリーに乗船。対岸の埠頭へ最短距離を行くかと思いきや、丁寧にも、解説のアナウンスつきでコロンス島を一周してくれた。

コロンス島はかつて、列強の共同租界となった地だ。教会や、旧領事館など、異国情緒溢れる光景がそこかしこに見える。そうした雰囲気を損なわないためか、或いは環境に気遣ってか、この島には騒音と排ガスを撒き散らす自動車が1台も見られない。観光地でよく見られる乗り合いの電気自動車が走っているだけだ。
この電気自動車を利用すれば、確かに効率的だ。しかし、コロンス島はそんなに大きな島ではない。それに、旅は自分の足で歩いてこそ意義がある、と考えている私には、もとより用がない代物だ。いつものように、私は歩いて島巡りを開始した。

コロンス島の最も標高が高い場所に、天から降ってきたようにへばりついている岩がある。日光岩だ。これを見つけるだけでコロンス島を認識できる、島のシンボル的存在である。
麓から見ているだけでも面白い岩だが、やはりここは頂上まで登ってこそ、意義がある。真下にはコロンス島の街並みを望むことができ、西の方に目をやると、高層ビルが建ち並ぶアモイの光景を一望できる。もしかしたら夜に来ると、香港のビクトリア・ピークから眺めるような夜景が見られるのかもしれない。
日光岩 アモイの街並み
左:コロンス島のシンボル・日光岩 右:日光岩から望むアモイの街並み
日光岩の敷地内には、鄭成功記念館もある。鄭成功は、ここアモイや台湾を舞台に清に抵抗を続けた、明の遺臣である。日本人を母に持ち、長崎・平戸で生を受けており、日本にもゆかりのある人物だ。また、日光岩の命名者も彼だという。
私は以前、陳舜臣の「鄭成功」という小説を読んだことがある。随分前のことなのでかなり忘れていたのだが、この記念館の展示を見ているうちに、記憶が少し蘇ってきた。
鄭成功像
巨大な鄭成功像
異国で生を受け、明末清初の動乱の時期を駆け抜けた彼の人生は、実にドラマチックだ。帰国したら、もう一度あの小説を読み返してみたい。
鄭成功といえば、この島の北端に屹立している巨大な鄭成功像も忘れてはならない。凛とした姿で、アモイ島の方向、即ち大陸の方向を向いている。恐らくは、清朝に対して睨みを利かせているのだろう。

島の東岸に足を運ぶと、そこには果てしない東シナ海の光景が待っている。海岸の一角には、この島の名の由来になった鼓浪岩がある。岩の上に松の木が生えている姿が特徴的ではあるが、 あとは大きさも形も、取り立てて目を見張る程のものではない。なぜ日光岩ではなく、この岩から島の名を取ったのか、いまひとつ理解しがたい。

この島の景色を際立てているのは、やはり亜熱帯の陽光であろう。しかしそれだけに、じりじりと暑い。ふと街角に目をやると、マクドナルドが見える。急に、シェークを飲みたくなってきた。
甘さと冷たさが、舌と喉を潤す。しかし、こんなものが無かった当時、鄭成功らはどうやってこの暑さをしのいでいたのだろうか。

2002年5月7日

アモイ空港発の便に搭乗し、温州経由で大連への帰途に就く。今回の旅も、無事終了した。
しかしその後、同じ日、同じ航空会社の北京-大連便が墜落して多数の死者が出たという報道を耳にした。犠牲者の方々に哀悼の意を表すとともに、自分がこれまで事故に遭うことなく旅をしてこられたことを、幸運に思わざるを得なかった。

旅の究極の目標は、無事に帰ることなのかもしれない

<完>

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