世界への旅(旅行記)
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丹東・1 ~長城最東端は何処?
瀋陽から丹東までは予定通り、開通したばかりの高速バスで向かう。所要時間は3時間だった。
中国の交通網が日に日に発達し、快適な旅ができるのはありがたい話なのだが、それに甘んじてしまって、中国旅行開始当初のオンボロバスや列車のデッキで何時間も、という貧乏旅行のスタイルから次第に離れつつある自分がいるのもまた事実だ。
それならば、せめてホテルだけでも初心に戻って――という訳でもないのだが、丹東では駅近くにある江城旅社というオンボロホテルに泊まった。100元未満のツインルームに泊まるなど、どれだけ振りだろうか。
ホテルに荷物を降ろした後、翌日夜の列車の切符を求めて駅に向かう。
「明日の大連行きの硬臥1枚」「硬臥は無いです。軟臥ならありますよ」「あ、じゃあ軟臥でいいです」
――ここでも「硬座でいいです」といえない私がいた。完全に“バックパッカー”の肩書き返上である。
折しも私が丹東を訪れたちょうどその頃、国境の向こうでは日本の小泉純一郎首相の訪朝という、歴史的な瞬間が展開されていた。
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| 中国語とハングルが混在する丹東の街 |
2002年9月18日
昨日丹東に到着した時は既に暗くなり始めていて、街の様子はよく分からなかったのだが、明けてあらためて外に出てみると、この街の特徴がよく分かる。
北朝鮮と国境を接するだけあって、この街には朝鮮族が多い。人の外見という点では、私の目には朝鮮族と漢族との区別はよく分からない。しかし、街の姿はここが朝鮮族の街である事を如実に示している。
商店などを見ると、看板やショーウィンドウには中国語だけでなく、ハングルが大きく記されている。そしてショーウィンドウの中には、朝鮮民族の衣装・チマ・チョゴリが展示されている。
聞くところによると、朝鮮族は自らに対して、中国人というよりも“朝鮮民族”という意識が強く、南北朝鮮が統一された場合には吉林省の延辺朝鮮族自治区の帰属が問題になりかねないという。(※)
この街の様子を見ていると「さもありなん」である。
おや、長城の最東端は山海関ではないのか?――そう思われた方もいることであろう。私も「週末旅行」の中の「山海関」の旅日記ではっきりとそう書いている。
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| 上:虎山長城 下:北朝鮮との国境を示す「一歩跨」の石碑 |
建築物そのものは、最近になって再建されたもので歴史的な価値は無い。しかし長城を歩いていると、北朝鮮の国土が、手が届きそうなほどすぐそばに見える。長城は言わば“本土”と“辺境”の境目に位置するものであるが、ここはまさしく“東の辺境”と言える。
そして長城を下りた後には、さらに北朝鮮の国土を間近に見る機会に恵まれた。
駐車場で帰りのバスに乗ろうとすると、車掌の阿姨が「まだ時間があるから、あっちへ行ってごらん」と、城門から見て右側の方向を指し示す。見ると、何人かの観光客が長城をくぐるトンネルの方に向かって歩いている。
何があるのだろう――言われるままに足を向けてみた。
短いトンネルを抜けて少しばかり歩くと、幅数メートルの小川がある。その向こう岸は低木が生い茂っていて、何やらこちらとは雰囲気が違う。そしてこちら側の岸には、1つの石碑が立っていた。石碑には、こう書かれていた。
「中朝邊境 一歩跨」
丹東の中朝国境といえば広い鴨緑江、というイメージばかりがまとわりついていたが、ここもまた紛れもなく、中国と北朝鮮の国境なのだ。道理で雰囲気が違うはずだ。一歩で跨ぐのは無理としても、先程長城から眺めた時以上の至近距離に、北朝鮮の国土がはっきりと見える。
国境の向こうに人影も見える。在日の朝鮮人を除けば、初めて見る北朝鮮人だ。
しかし、数日前に訪れた黒河で見た、黒龍江の向こう岸から手を振るロシア人のように友好的ではない。うっかりカメラのレンズでも向けようものなら、身振りで猛抗議である。軍服のようなものは着ていなかったものの、恐らく彼らは国境の監視員なのだろう。
脱北者等の問題で揺れている北朝鮮、そして北朝鮮国境の情勢が刻銘に見えた一瞬だった。
※但し、中国当局はこの地に漢人を続々と移転させて朝鮮族の比率を減らし、この"自治区"の消滅を目論んでいる。



