世界への旅(旅行記)
> 中国・河北、河南
洛陽 ~蘇る古都
2004年5月3日
前日決めた予定通り、バスで洛陽に向かう。西に向かうにつれ、天気は良くなっていく。洛陽に着く頃には、空はすっきりと青くなっていた。
<後日談>
大連に戻った後、同僚にこの日前後の天気の話をしたところ、大連でも2日は雨で、3日には晴れたという。どうやら、西に向かったから天気が良くなった訳ではなく、広域に渡って同じように天気が変化していたようである
洛陽に来るのも10年半ぶりである。以前来た時は空がどんよりと曇っていたせいもあって、“古都”の華やかさは微塵も感じられなかった。しかし、今回は違う。天気がいいことを差し引いても、街の雰囲気が明るくなっている。
原因の1つが、鄭州同様、街並みがモダンになっていたことである。もう1つの原因は、一部の大通りの路肩が色とりどりの花で飾られていたことである。中には、洛陽名物の牡丹とみられる赤い花も見ることができる。
ここは前回見た時の記憶が鮮明だったので、川の向こう岸から無料で見ることを決め込んで出かけた。しかし、いざ到着してみると、以前は無料で歩くことのできた石窟対面の川岸までが、有料エリアに組み込まれてしまっている。
![]() |
| 関林。後ろの小山が関羽首塚 |
それでも、前回見た時の記憶の鮮明さから、敢えて再度入場することはせず、遠目に見ただけでよしとした。
龍門から街中に戻る途中にある、三国志の武将・関羽を祀った関林も、10年半前に訪問済みだったが、龍門ほど記憶に残っていない。こちらはきっちり入場料を払って再訪問した。
門をくぐった後にある幾つかの廟は以前にも見た覚えがある。しかし、ここで一番重要な場所を見た記憶が無いのである。それが、関羽の首塚だ。関林敷地内の一番奥にある小山がそれである。
関羽は呉との荊州攻防戦に破れ、処刑された。その後、その首は魏の曹操に送られたとされている。その首が葬られたと言われるのが、この首塚である。
ここに関羽の首が――という感慨もあるにはあったが、本当なのかうそ臭い気もする。そもそも、首一つ埋葬するのにこれ程大きな丘が必要なのだろうか。
龍門や関林もそうだったのだが、10年半前の訪問時は客も少なく、ひっそりとしていた。
![]() |
![]() |
| 上:人で賑わう白馬寺 下:牡丹の花 |
春の陽光、大勢の観光客とともにここ白馬寺を明るい雰囲気にさせているのが、牡丹だ。赤、白、ピンクの花が華やかに咲いている。毎年恒例の牡丹祭りは4月の後半で終了しているのだが、まだまだ来客の目を楽しませてくれている。
次は洛陽博物館を訪れたいと思っていたが、白馬寺は市の中心部からかなり離れており、バスでは間に合わない。タクシーで行くことにした。
道中、女性運転手が「洛陽博物館に行くの? あそこは何も無いわよ。それよりも、空港の近くにある古墓博物館に言ったらどう?」と私に勧める。しかし、私は墓よりも歴史そのものに興味があるのだ。お言葉はありがたかったが、やはり予定通り洛陽博物館に行ってもらった。
街中に入ると、先程見た牡丹とおぼしき花が見えてくる。私は運転手に「あれは牡丹か?」と尋ねた。
「違うわ。牡丹祭りが先週終わって、牡丹はもう盛りを過ぎてしまったの。今、牡丹が咲いているのは白馬寺だけね」
そうだったのか。私はぎりぎりの時期に洛陽に来た訳だ。洛陽博物館の隣にある王城公園も牡丹の名所と聞いていて、白馬寺と王城公園のどちらに行こうかと考えていたのだが、白馬寺を選択して正解だった。
入場終了の30分前という微妙な時間に、洛陽博物館に入場。女性運転手の言っていたように、確かに展示物がそう多い訳ではない。しかし、洛陽の歴史の流れがよく分かる、いい展示がなされてた。
私が見学しているのとほぼ歩調を合わせて、若い中国人数人と1人の欧米人女性が展示物を観覧していた。中国人は、どうやら英語専攻の大学生らしい。ややたどたどしい英語で、しかし一生懸命に、欧米人女性をガイドしていた。
外国語を学ぶこと、外国人とコミュニケーションすることの難しさは、留学して中国語を学んでいた私にはよく分かる。あの頃の自分を見ているような気分で、私は彼らに“fight!”と、心の中でエールを送った。



