世界への旅(旅行記)
> 中国・河北、河南
開封、鄭州 ~文治主義の都
2004年5月6日
開封には前日夕刻に到着。その後は夜市を歩くなどして過ごし、本格的な街巡りはこの日朝からになった。
開封は、北宋の時代に都となった古都である。しかし、黄河が運んできた黄土によって当時の街は土の下となってしまい、![]() |
| 繁塔 |
そんな中で、1000年前の姿を今に残しているのが繁塔である。ただし、やはり黄土に埋められて、地上に現れているのは本来9層あるうちの3層だけだ。もし黄土を取り除くことができたら、さぞかし壮大な姿を見せてくれることだろう。
繁塔は市街地の南側・禹王台の近くに位置する。表通りから、宋の時代に戻ったかのような古めかしい路地を抜けると、その風景にマッチした、年季の入った塔が見えてくる。
この塔は離れた所から見ても見応えがあるが、その真価はやはり間近に近づいて初めて分かる。遠目に見ると何か模様が描かれているように見えるが、実はそれは無数の小さな仏のレリーフなのである。よく見ると顔が潰されているものもある(やはり文革の影響)が、実に細やかである。当時の仏教信仰の篤さと、匠の技を見て取ることができる。
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| 上:大相国寺の羅漢殿 下:開封府 |
繁塔以外に私の興味を引いたのが開封府だ。ここは、かつての宋都の政府を再現した、最近になってできた観光施設だ。まあ、それだけと言えばそれだけの所なのだが、中国史では異例の文治主義が布かれた時代にどのような場所で政治が行われたのか、やや興味があったのだ。
文治主義の都――もしかしたらこれが、開封を理解するためのキーワードなのかもしれない。この街は、北京や西安のように大きく華やかではないが、落ち着いていて古めかしい、“古都”と呼ぶに相応しい雰囲気がある。平和を希求した国の姿勢が、都の顔をそうさせたのかもしれない。
前日ぶらついた夜市が開かれる場所の近くに、屋台が軒を連ねる飲食街がある。その中の看板に、私は「鍋貼」の文字を見つけた。鍋貼とは日本でいう焼き餃子のことである。
中国で暮らすようになった今でこそ餃子といえば水餃子か蒸餃子がメーンになっているが、日本にいた時は好んで焼き餃子を食べていたものだ。懐かしさに駆られて、私は鍋貼を一皿注文した。
さて、懐かしい味に舌鼓を――あれ、焼き餃子って、こんなに油っこかったっけ? どうやら、焼き餃子大好きだった私の舌も、すっかり水餃子・蒸餃子の舌になってしまったようである。
1日目の夕方着→2日目朝から街巡り→同日夕方前に次の都市へ、というパターンが最近多くなっている。明日は鄭州からの飛行機に乗らなければならない。前日の許昌同様、開封滞在も1日で済ませて、私は三たび(前回の旅行も含めて)鄭州に移動した。
鄭州への道中、車窓の外に「官渡」と書かれた看板が。見えた。官渡といえば、曹操と袁紹の戦いで有名な場所である。
<そうか、ここがあの官渡か…>
ほんの一瞬のことだったが、ここでもまた三国志の名場面に思いを馳せることができた。
2004年5月7日
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| 商代遺趾 |
早朝、鄭州の中心部から少し離れた場所にある商代遺趾を訪れた。商というのは、日本では殷の名で知られている、現在確認されている中で最古の中国王朝である。
現場は、高さ数メートルの土の山が壁のように続いている。史跡というよりも、地元住民が朝の太極拳や体操をする憩いの公園という様相だったが、中国最古の王朝の名残に直に触れることのできる貴重な場所であることには間違いない。
表に出たついでに、河南省博物館にも訪れた。建物は立派だったが、展示物は余り印象に残っていない。
午後、鄭州空港から大連への帰途に就く。
今回は、2度目の訪問となる街が多かった。70都市以上も回っていると、こういう事も多くなってくる。以前の様子と比べてみたり、もう一度行きたかった場所を巡ったりと、それはそれで楽しみもあるが、
次はもっと新鮮さに満ちた旅をするかな。




