世界への旅(旅行記)
ラサ-20 ~いざ出発。さらばラサ
2007年7月18日
午前7時半。私たちが泊まっている宿の前にソォラン氏の運転するランドクルーザー(ランクル)がやって来た。荷物を後部荷台に置き、さて乗車である。
ランクルの座席は運転席を除くと助手席、3人がけ後部シートそして荷台の中の補助席である。申し込み時に旅行社のテンジン氏が「5人? EBCに行くんだったらガイドが絶対必要だよ。ガイドはどこに乗るの?」と言っていたが、荷台の補助席を使っても運転手を除き5人が精一杯。ガイドが必要なツアーの場合、やはり参加者は4人が限度ということだ。私は通訳をするということで助手席に、女性3人は後部シートに、ヨージが荷台の補助席に、という態勢となる。(このへんの様子はヨージ・ナナ夫妻のブログに詳しく書かれています)
しかし、この態勢はその後、流動的になる。
理由の1つ目は、荷台の座席が思いの外快適だったことである。眠い時には横の荷物に身を委ねて楽な体勢で寝ることができるのだ。ただしこの席、前の方での会話からは取り残され易い。
理由の2つ目は、「チベットの規則で、運転手の居眠り運転を防ぐため、助手席では眠ることが許されない」(ソォラン氏)ということ。荒野を走る時などは景色が単調で眠気を起こしやすい、ということなのだろうか。実際、私は助手席で何度もウトウトしてはソォラン氏にたたき起こされた。
苦楽は分かち合おう、ということで2日目以降、助手席と荷台席にはローテーションで座ることになる。
ランクルの座席は運転席を除くと助手席、3人がけ後部シートそして荷台の中の補助席である。申し込み時に旅行社のテンジン氏が「5人? EBCに行くんだったらガイドが絶対必要だよ。ガイドはどこに乗るの?」と言っていたが、荷台の補助席を使っても運転手を除き5人が精一杯。ガイドが必要なツアーの場合、やはり参加者は4人が限度ということだ。私は通訳をするということで助手席に、女性3人は後部シートに、ヨージが荷台の補助席に、という態勢となる。(このへんの様子はヨージ・ナナ夫妻のブログに詳しく書かれています)
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| (左)私たちをネパール国境へと導いてくれたランドクルーザー (右)荷台の座席も活用 | |
理由の1つ目は、荷台の座席が思いの外快適だったことである。眠い時には横の荷物に身を委ねて楽な体勢で寝ることができるのだ。ただしこの席、前の方での会話からは取り残され易い。
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| ラサの街ともお別れだ |
苦楽は分かち合おう、ということで2日目以降、助手席と荷台席にはローテーションで座ることになる。
午前8時前、いざ出発。
運転を始めるや否や、ソォラン氏が念仏を始めた。彼も敬虔なチベット仏教徒だったのである。旅の安全をお祈りしているのだろうが、小声でブツブツとやられるとちょっと気味が悪い。
車はギャンツェ、シガツェのある西へ向かい、ポタラ宮に見送られつつ街中をすり抜けていく。
ラサの街とも、これでお別れだ。
やがて、車窓からの景色は山と空ばかりになる。
運転を始めるや否や、ソォラン氏が念仏を始めた。彼も敬虔なチベット仏教徒だったのである。旅の安全をお祈りしているのだろうが、小声でブツブツとやられるとちょっと気味が悪い。
車はギャンツェ、シガツェのある西へ向かい、ポタラ宮に見送られつつ街中をすり抜けていく。
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| 山と空ばかりの景色の中を走る道路 |
やがて、車窓からの景色は山と空ばかりになる。
出発から1時間ほどして最初の検問。とは言っても何かを厳しくチェックする訳でもない。安全に気を付けるよう喚起された程度だった。
どうやら最近、この近くで32人中27人が死亡するという大惨事のバス事故があったらしい。暫く進むと、その現場があった。路面に生々しいスリップ痕が残っている。
浮かれ気味だった気持ちが引き締まった。ここから先、安全とは言い難い道が続くことが予想される。事故などに遭わずに楽しく旅を終わらせたい――旅をしていれば常々考えることだが、この時はその気持ちが一層強くなった。
どうやら最近、この近くで32人中27人が死亡するという大惨事のバス事故があったらしい。暫く進むと、その現場があった。路面に生々しいスリップ痕が残っている。
浮かれ気味だった気持ちが引き締まった。ここから先、安全とは言い難い道が続くことが予想される。事故などに遭わずに楽しく旅を終わらせたい――旅をしていれば常々考えることだが、この時はその気持ちが一層強くなった。




